相談役日記
感謝している人達
私が創業して42年目を迎える事ができました。
まさかこんなに長くこの仕事をするとは、夢にも思いませんでした。
前に相談役日記にも書いた事がありますが、今この仕事で生活できている原点が、25~28才での約4年弱やっていた飛び込み営業による教材販売(訪問販売)です。
1日平均20軒×20日/月×12ヶ月×3.5年=約17,000軒
多くのご家庭を訪問しましたが、その中で特に私の記憶に残るご家庭が3軒あります。
1軒目は、埼玉県の所沢市松ヶ丘にあるご家庭です。
その当時できたばかりの新興住宅地でした。
夕方、そのご家庭玄関のブザーを押すと同時に、そのご家庭のお父さんが帰っていらっしゃいました。
私はいつもの通り、アプローチトークの「お子さんに勉強のやり方の指導で回っています」と伝えたところ、ぴしっと背広を着こなされていたお父さんが、私の頭から足の爪先までなめるようにご覧になり、「君に勉強のやり方を習わなくても、うちの子は大丈夫だよ」とおっしゃいました。
彼のその時の表情は、これ以上ない嫌なものを見る顔で、私をバカにしたような冷たい表情だったのをよく覚えています。これはあくまでも相手の方に対する私の感想ですが、これまでに受けたことのない屈辱感でした。そして、誰に対しても平等に同じ気持ちで接することができる人間になりたいと心より思いました。
2軒目は、品川区の詳しい場所は忘れましたが、そのご家庭は廃品回収会社の社宅でした。
3階建ての古い木造住宅で、内部の2~3階への階段は梯子のようなもので上がる建物でした。。
名簿にしたがって訪問したのですが、アプローチをするか随分悩みました。
理由は話をしたところで、教材を買う余裕がないかもしれないと思ったからです。
そうこう悩んでいると「どのご家庭を探しているのですか」と、廊下から声がありました。
私が「○○さんのお家です。」と答えると、「私の家ですが、何ですか。」と返ってきました。
できるだけいつもの調子でアプローチをすると、「どうぞ」と私は部屋に案内されて、中学生のお子さんを呼んでくださいました。
真夏の時期で床のカーペットが湿っていて、足を踏み入れるのをためらいましたが、何も気にしないようにしてお子さんに勉強のやり方を指導しました。
その途中でお母さんは、私にスイカを出してくださいまして、私はありがたくいただきました。
このご家庭のお子さんは勉強をまだまだ頑張らなければいけないと指導していて思いましたが、目的の教材を売る気持ちにはとてもなれませんでした。そう思う事が本当は失礼なのですが・・・
一通り勉強を教え終わると、お母さんは「それいくらするの」とおっしゃいました。
私は売っていいのか複雑な気持ちになったのをよく覚えています。
1番安い数学の教材で確か4万円くらいで、それでも当時で言うと高額な教材です。
ただ、ご家庭の生活レベルに関係なく親心は皆一緒なのだという事、そして相手のために常にベストつくすことが大切なのだと、この時から思うようにしています。
3軒目のご家庭は、大田区大森を回っている時のことです。
真冬でとても寒かったのをよく覚えています。
2階建ての集合住宅で、玄関を開けるとすぐダイニングになっていて、そのご家庭は晩ご飯を食べているところでした。
ご家庭の晩ご飯のさなか、いつも通りアプローチをすると、お父さんがやんわりと「寒いから玄関をしめて中に入れ」と、続けて「こっちに来て説明して」とおっしゃいました。
私が玄関内で「いいです。お食事後また来ますので、30分時間を取っていただけるとありがたいのですが。」と言うと、お父さんが「いいよ、いいよ、部屋に上がれ」とおっしゃり、「仕事の話はあとでいいだろ。飯を食べろ。」と、夕ご飯をご馳走してくださりました。
よほど私が寒そうで腹が減っていて哀れに思われたのか、よく頑張っているなと思われたのかはわかりませんが、こんなに心が温かくなった事はありませんでした。
その後、3回ほど大田区を回った時、このご家庭にお邪魔してお子さんの勉強を見たのを覚えています。
私が42年もの間ずっと教育事業ができているのは間違いなくこの人達のおかげです。
今も感謝しかありません。